学校の沿革
校章制定の経過
ペンは学業をあらわし,それが力強く伸びていくことを示し,そのまわりは茶の葉で郷土の特色をあらわす。いずれも3つが1つに交叉して統合による3校が融和委一体となって新しい中学校を盛りたてていくことを図案化したものである。
統合による新しい中学校のシンボルとする校章図案については,53年7月1日の統合中建設連絡会で学区内より広く公募しようということになり,その準備のために校章制定委員会をもって公募の要領について協議し,同9月25日各学校生徒をはじめ学区内住民の方より応募を願う案内書5600枚を各校児童生徒を通して配布,10月末日を〆切として新しい校章図案に期待したのです。
やがて応募された図案135点,みな新しい中学校の発展を願う気持ちが作図されていて応募された方には本当に感謝を表した次第です。同12月12日審査会が旧岩中図書室でおそくまで行われたのですが,残念ながらズバリ決定という作品はなかったので(佳作5点選定)校章の制定についてはその席上集まった審査委員,建設連絡会委員の方々の意向をとり入れて改めて作図するようにと依頼をうけ,制定委員会で何回かの会合をもって作図したものを54年1月27日の建設連絡会で提案検討の結果決定したものです。
審査委員 三中学校の校長・PTA会長・市内各校選出の美術・図工担当者・教育委員会代表者20名
制定委員 (岩井中)田中教頭・篠田教頭 (七重中)麻生教頭・佐怒賀教諭 (長須中)木村教頭・永山教頭 計6名
校歌の思いで 古矢 次男
寒い寒い朝でした。早朝五時起きして,おんぼろの自転車にまたがり,砂利道を行く水海道行きの県道の寒さはひどかった。自転車の荷かけには,近所の農家からやっと分けてもらったそば粉二升,同僚の平勢先生(現水戸一高)と,作詞家大木惇夫先生を訪ね,校歌の作詞をお願いする出張でした。
私が大好きだった詩人,しかし一面識もない先生,岩井中学校の校歌だけでは,流行歌謡の所詮通う職人にはたのみたくないの一念で,このようにして何回東京まで通ったことだろう。僅か一万円しか予算のない稿料で無理をお願いしたあの当時の心臓は,今思いだしても冷汗の流れる思いです。
数ヶ月を経て,やっと作詞完了,山田耕筰先生を紹介していただき,赤坂のお住まいをたずね,これ又一万円の金額をきりだす時の思いは,つらいと云うよりは,なさけないの思いでした。
山田先生と云えば,世界的な作曲家で,私共が先生と対談するとき,ひざがしらがふるえて仕方なかったことを今でも覚えています。しかし気持ちよく引き受けていただき,又数ヶ月して曲符をいただきにお伺いした時には,立派な応接室に案内され,大きな純銀らしい灰皿を前にして,私共当時煙草が入手できず,煙草の葉っぱを手巻きにした煙草では,さすがに純銀の灰皿に灰をおとすこともできず,約二時間余りのご指導いただく時間中,一服もできなかったことも,約30年前のなつかしい思いでです。
満足な食べものもなかった終戦後間もない昭和23年,せめて校歌だけでも立派なものを作って,胸を張って生徒たちに歌ってもらおうとの一念があったからこそと思います。卒業生六千数百人の心の糧として歌い継がれた岩井中学校校歌,ほんとうになつかしさでいっぱいです。
岩井市馬立983-1 飯島小学校
校歌の作詞者は,皆さんもご承知の通り,出船の唄等で有名な詩人,大木惇夫先生。
当時占領下,目標もなき混乱期に際し,せめて心のよりどころとして,明るさと希望をもたらす校歌の制定をもくろまれたのは森山校長先生。人知れずかげの力をつくされたのは古矢,平勢の両先生である。
学校の沿革
S22.4.1 | 岩井,七重,弓馬田,長須中学校創立 |
S51.12.1 | 現所在地に新校舎の建設着工 |
S54.4.1 | 岩井市立岩井中学校統合 |
S54.4.1 | 初代校長 高橋正夫 先生就任 |
S54.11.25 | 開校記念式典挙行 本日を創立記念日とする |
S55.4.1 | 2代校長 遠藤光雄 先生就任 |
S58.10.1 | 情操教育研究発表会開催 |
S59.7.5 | 小平賞受賞 |
S60.4.1 | 3代校長 木村伊久男 先生就任 |
S60.4.19 | つくば万博 全生徒によるマスゲーム参加 |
S63.4.1 | 4代校長 木村昭吾 先生就任 |
S63.11.20 | 開校10周年記念事業(記念誌,記念碑,体育館緞帳) |
H1.1.20 | 県指定研究「一斉授業における学習指導の個別化」発表 |
H1.11.16 | 文科省指定研究「学習指導のおけるコンピュータ活用」発表会 |
H3.4.1 | 5代校長 中川正 先生就任 |
H5.8.22 | 男子ハンドボール部 全国大会出場 |
H6.4.1 | 6代校長 冨山勝男 先生就任 |
H7.10.12 | 「日立ヤングボランティア賞」(JRC委員会)受賞 |
H8.3.8 | 「幡谷教育振興財団賞」(理科教育優秀校)受賞 |
H8.4.1 | 7代校長 中村昭 先生就任 |
H8.10.25 | 県指定「学校保健・学校安全」研究発表会開催 |
H10.4.1 | 8代校長 田邉淳次 先生就任 |
H10.11.21 | 開校20周年記念事業(式典,記念誌) |
H11.11.11 | 市指定研究「基礎的・基本的内容の定着を図るための個に応じた学習指導法の工夫・改善」 |
H12.4.1 | 9代校長 石塚榮太郎 先生就任 |
H13.8.21 | 女子ハンドボール部 全国大会ベスト8 |
H14.4.1 | 10代校長 古矢卓二 先生就任 |
H14.8.22 | 女子ハンドボール部 全国大会ベスト8 |
H15.8.23 | 水泳部男子個人 全国大会出場 |
H15.11.18 | 県西地区外国青年招致団体連絡協議会英語授業研究会発表 |
H16.8.22 | 水泳部男子個人200mバタフライ 全国大会6位 |
H16.8.22 | 柔道部男子個人 全国大会出場 |
H17.3.22 | 岩井市,猿島町合併により坂東市立岩井中学校と改称 |
H18.8.23 | 女子ハンドボール部 全国大会ベスト8 |
H18.8.23 | 柔道部男子個人 全国大会出場 |
H18.8.23 | 陸上部男子個人棒高跳び 全国大会出場 |
H18.3.20 | 校舎大規模改造工事着工 |
H19.4.1 | 11代校長 遠藤道夫 先生就任 |
H19.9.21 | 校舎大規模改造工事完了 |
H19.12.7 | 県指定特別支援教育相談体制モデル地域指定研究発表 |
H20.4.1 | 12代校長 高橋文也 先生就任 |
H20.8.22 | 柔道部男子個人 全国大会出場 |
H20.11.21 | 開校30周年記念事業(式典,記念誌) |
H22.8.21 | 陸上部男子個人棒高跳び 全国大会出場 |
H22.11.12 | 文部科学省指定研究開発学校研究報告会(特別支援教育) |
H23.11.26 | 高円宮杯第63回全日本英語弁論大会第4位 |
H24.12.1 | 高円宮杯第64回全日本英語弁論大会第3位 |
H25.4.1 | 13代校長 倉持利之 先生就任 |
H25.8.20 | 柔道部女子個人 全国大会出場 |
H25.11.29 | 体育館耐震補強大規模改造工事完了 |
H26.4.1 | 国立教育政策研究所委嘱「魅力ある学校づくり研究事業」開始 |
H26.8.24 | 柔道部女子団体 全国大会出場 |
H26.8.24 | 柔道部女子個人 全国大会準優勝 |
H26.8.24 | 柔道部男子個人 全国大会ベスト16 |
H26.11.12 | 国立教育政策研究所委嘱「魅力ある学校づくり研究事業」中間発表 |
H27.1.21 | 「キャリア教育文部科学大臣賞」受賞 |
H27.11.12 | 国立教育政策研究所委嘱「魅力ある学校づくり研究事業」完結発表 |
H28.4.1 | 14代校長 古矢勲 先生就任 |
H29.3.26 | 男子ハンドボール部 第12回春の全国中学生ハンドボール選手権大会出場 |
H29.8.25 | 柔道部男子個人 全国大会出場 |
H30.4.1 | 15代校長 逆井昇 先生就任 |
H30.6.26 | モンゴル教育使節団訪問(使節団14名来校) |
H30.11.22 | 開校40周年記念事業(式典,記念誌,東屋) |
H30.12.11 | 学力向上推進プロジェクト授業授業力アップ研修(国語)授業研究会 |
H30.12.23 | 第27回JOCハンドボール全国大会 本校より女子2名選抜 |
R1.10.3 | 国立教育政策研究所委嘱 国語実践研究協力校第1回公開授業 |
R1.12.24 | 第28回JOCハンドボール全国大会 本校より女子1名選抜 |
R2.4.1 | 16代校長 加藤次男 先生就任 |
R2.4.9~6.1 | 新型コロナウイルス感染症防止のための臨時休業 |
R2.7.18~24 | 総合体育大会代替市内練習会 |
R3.8.17 | 陸上部男子共通100m 全国大会出場 |
R3.9.1~26 | 新型コロナウイルス感染症防止のための臨時休業 |
R3.9.10~R4.2.4 | 外部室棟建替え |
R4.4.1 | 17代校長 稲葉伸一郎 先生就任 |
R4.8.8 | 柔道部女子個人 全国大会出場 |
R4.8.30 |
英語プレゼンテーションフォーラム県大会出場 |
R5.7.23 | サッカー部 県総体優勝 関東大会出場 |
R5.9.28 | 少年の主張茨城県大会 優秀賞 |
R6.4.1 | 18代校長 鈴木清子 先生就任 |